夕日が沈む山の写真

生まれてきてよかったですか

カウンセリングルームながまち」上級心理カウンセラー  Chie

1 人の性分

このところ、3日おきぐらいに、89歳になる、施設に入所中の母の様子を見に行っています。

特にどこが悪いわけではないのですが、年齢と持病のため骨がもろくなっているようで、寝たきりの状況が続いています。

訪ねていっても、母は眠っていることがほとんどで、声をかけると目を開けて多少会話するのですが、先日、少し調子が良さそうなので、なんとなく昔話をしていたとき、「ねえ、お母さん、生まれてきてよかったと思う?」と聞いてみました。

田園の広がる田舎の裕福な家のお嬢様として大事に育てられ、当時は羽振りのよかったとはいえ、人の気性も風景も全く異なる港町の水産加工業者に嫁ぎ、そこからは苦労の連続だった母が、人生をどうとらえているのか、知りたくなったのです。

私には意外だったことに、母は、目を見開いて「うん」と声を出してうなずき、 「なんでそんな当たり前のこと聞くの」とでもいうように不思議そうにこちらの顔を見ていました。

今度は私の方が驚いた顔で、「あんなに苦労ばっかりしてたのに、なぜそう思うの」と聞くと、母は「だってそういう性分だもん」とあっさりと答えました。

どんなに苦労が多い人生を経て、今は寝たきりになっていても、「生まれてきてよかったと思える」性分・・

それって、「性分」の問題なのかな?と、私は、また眠りについた母の白髪だけの頭をそっと撫でながら思いました。

2 生きていくことをやめることはしないけれど

多くの人が明日の衣食住にすら困窮しているとか、命の危機にさらされるような戦争状態でもないのに、日本の自死率は世界でも高く、若くして自ら命を絶つ人が少なくありません。

重いうつ病で、自死の引き金を引いてしまうような状態は、適切な治療を早期に受ける必要がありますが、そこまでの症状ではなくとも、「生まれてきてよかったですか」と聞かれて、ためらいもなく「良かった」と答えられる人はどのぐらいいるのでしょうか。

自分を振り返ると、育ててくれた親を始め、いろんな方に助けられてここまできたことは重々分かっているので、「生まれてこなければ良かった」とは口が裂けても言えません。

とはいえ、そうした「周囲の恩」を顧みず、自分の胸のうちだけに問うてみると、「楽しいこともあったけれども、こんなに辛くて身を切られるような思いを数々してきて、心の痛みに苦しみ続けるなら、なんでわざわざこの世に生まれてきちゃったかなあ」と思ってしまうことはあります。

こうした心の持ち方、「自らの生」に対する肯定の度合いの違いは、「性分」の問題なのでしょうか。

3 インナーチャイルドの疼き

母も私も、子どものころは同じように「おてんば」(今は死語かもしれません)で、母は木登りをしてみて降りられなくなって泣き叫んで大人に助けられたり、私もゴム飛びや石けりが好きな子供でした。

でも、私は、4つか5つ頃、相当小さい子供のころから、「自分はいてもいなくてもいい存在なのではないか」と感じていた記憶があります。

私の生家には、当時は25人ぐらいの従業員さんや取引業者さんが出入りして、祖父母や叔父もいて、兄弟は私以外は全員男の子ですから、とにかく人がわやわやして落ち着かない、かといって和気藹々というのではなく、常にせかせかとやかましく、時には怒号が飛び交うような環境でした。

私は外では友達とゴム飛びなどしていましたが、家の中では、紙とエンピツさえ与えていれば、せわしなく飛び回る大人達のじゃまにならないよう、片隅でじっと絵を描いているような、手のかからない子どもだったようです。

「本当にあんたは手がかからない」と母親から言われていましたが、まだ4,5歳だった幼い私は、子ども心に「そんな(存在感のない)自分がいなくなっても、誰も気がつかないし、困ったり悲しんだりしてくれる人はいないのではないか」と思ったのでしょう。

ある時、居間の戸棚(子どもが1人は入れるぐらいの大きな戸棚でした)に入ってじーっと座り込み、居間でがやがや立ち振る舞っている大人達の誰かが、1人でも、「あれ、千恵がいないな」と気づいてくれるのではないか、そうしたら出ていこう、とガラスの戸に顔をつけて、時々戸の隙間から居間の様子を伺いながら、ずっと待っていたのです。

でも・・
残念ながら、子どもにとっては耐えられる限界までのずいぶんと長い時間、戸棚の中で座って待っていても、大人達の様子に何か変化が訪れる気配はありません。

相変わらず、私以外の外界は外界のまま、私がいようといまいと、なんら影響はなかったのです。

私はいっそう悲しくなり、自分で根負けして、泣きながら戸棚を開けて出ていきました。

大人達は、「あらー、どうしたの。かくれんぼでもしてたの」と、あっけないほどの反応で、子どもがお菓子を探して戸棚に入ってかくれんぼをしていたんだろうぐらいにしか受けとめず、私がなぜ泣いているのか尋ねてくれた人は一人もいませんでした。

「自分が生きていくこと」への肯定的なとらえ方は、たしかに生まれ持っての「性分」の要素は大きいのかもしれません。

でも、もし、相当小さい子どもの頃に、「自分なんていてもいなくてもいいんじゃないか」といった思いを抱いて傷ついた覚えがある方は、そうした思い出もそっと、抱きしめてあげましょう。

生まれた限りは、たとえ生を肯定的にとらえられないとしても、生き続けていくだけで十分です。むしろ、「生きるのがしんどい」と思うのに、「生きることをやめない」のは、「生きるのって楽しい!」とあっけらかんと言える幸福な人とはまた違った尊さがあるのではないでしょうか。

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