マトリョーシカ

「たまらなくさびしい」思い・・R7 5.8宮城県アディクション問題研究会に参加して

5/8のアディクション問題研究会では、会の代表でもある東北会病院の石川達先生のお話しをお聞きしました。

石川先生の座る机の上には、かわいらしいマトリョーシカがずらっと並んでいます。小さい方から、胎児、乳幼児、幼児・・と成長していく過程の心を表していて、例えばお母さんのおなかの中にいるときに両親の怒鳴りあう声やガチャンと乱暴にものが壊れる音などをずーっと聞いて心にトラウマを抱えてしまうと、入れ子構造のマトリョーシカはそれを次々に抱えて大きくなっていきます。
そして、65歳の大人の心(大きなマトリョーシカ)に、何かの拍子で、小さなマトリョーシカの傷が暴れ出してしまうのです。
このお話は、なぜ、ふだんは忘れているはずの、何十年も前に負った心の痛みが、突然わきあがって収拾がつかなくなるのだろう、と疑問を持っていた私には、ああそうか、小さなマトリョーシカをどんなに追い出そうとしたって無駄なんだよな、と思えるものでした。
(写真のマトリョーシカは石川先生が持参されたものではなく、うちにあったものです)

また、「関心は愛」という言葉もハッとするものでした。
私自身、自分が好きな人、一緒にいる人、気に入られたいと思う人が何に関心を向けているかに過剰なほど敏感で、自分ではない他の人や物事にばかり目を向けていられると、鋭い痛みが心に走ります。
きっと、胎児とか幼少期とか、成長段階の早い時期からずっと、親から適切に関心を向けられていない小さなマトリョーシカたちは、ずーっと、傷をあちこちにつけながら一回り大きなマトリョーシカに包まれているのでしょう。

そう、先生がおっしゃるとおり、「寂しさ」には2種類あるのです。
1つは、胎児のときからずーっとトラウマを抱え続けてきた「子ども」の、「1人ではいられない、いてもたってもいられない寂しさ」―なぜなら、世界は自分を傷だらけにするほど不安と恐怖に満ちている不安定な世界だから―そこに自分を置き去りにされる「見捨てられ不安」と合体した寂しさ。
そしてもう1つは、(それが得られなかった者から見ると幸運なことに)家庭環境が比較的安定していて、ホギャーッと泣けば保護者(多くは母親)から十分な関心と栄養を与えられ、「自分は相手を十分に惹きつけられるという万能感、世界は安心安全な場所」と感じられる育ち方をして大人になった人達(つまり、小さいマトリョーシカ達はそれほど傷ついていない、きれいなツルんとした状態)の「大人の寂しさ」。これを先生は、「世界は安心安全な場所だが、人は一人で生まれ、一人で死んでいく」という感覚をもった「わび・さび」の世界であり、芸術で表現されるもの、とおっしゃっていました。

お話の後、マトリョーシカ達を撫でてあげたい思いがこみあげましたが、人形たちは小さいものから順々に、先生が几帳面に納められ、大きなマトリョーシカの表情は読み取れませんでした。

これからは、芸術を楽しめる大人になりたいものです。

カウンセリングルームながまちカウンセラー Chie




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