カウンセリングルームながまちのバラの花

慢性関節リウマチであること

1.体の痛みと心の痛み

36歳の時、慢性関節リウマチを発症しました。
正確には、35歳の人間ドックで検査の数値がおかしい、リウマチではないかと言われ、その時はまだ自覚症状がなかったのですが、だんだんと朝起きた時指がこわばりはじめ、体中が重だるい痛さで起き上がるのがつらくなりました。

母も祖母もリウマチだったのですが、まだ若かった自分にはリウマチは高齢者がなるもの、みたいな思い込みがあり、けどひょっとして自分もリウマチになったのか?と半信半疑で、とりあえず整形外科に行き、「指にぬりなさい」と軟膏を渡され(今では、それもなんだかなあと思うのですが)、せっせと朝こわばった手に塗っていました。

そうこうするうちに両膝は腫れ上がり、指は変形したまま動かなくなり、通勤のため徒歩10分ほどの地下鉄の駅まで体全体をひきづるようになんとか歩き、そこから地下鉄の階段を手すりを固く握りしめながら、一段一段、片足で体を支えながらもう片方の足を出す、という作業を繰り返して降りて、改札口にたどり着きます。
(地下鉄にエレベーターはあるのですが、そのエレベーターがまた遠くて、地下鉄駅にやっとこさたどりついたあげくに、まだあんな遠くまで歩かなければならないの?と気力が尽きて、実際は使えないのです。)

幸いなことに、近所にリウマチ専門の病院を見つけ、リウマチの度合いを測る数値を見たお医者さんから「本当にこれで通勤して仕事してたんですか?」とその時は驚かれました。

本格的にリウマチだと宣告されたとき、まっさきに思ったのは、「ああ、娘がもう10歳になるころで良かった」でした。
まだ娘が保育園児のころだったら、朝夕のお迎えに、自転車によっこいしょと娘を持ち上げて乗せなければなりません。
何より、腫れあがって思うように歩けない膝では、自転車をこぐことなど無理です。
そんな送り迎えの記憶や、娘を抱き上げてやる時の重みが、リアルな感覚として頭に浮かんだのです。

お医者さんから、有無をいわさず点滴やらステロイド剤をガンガン投入された治療の効果もあって、少しづつ症状は改善。
でも、ご存じのとおり、リウマチは、症状が落ち着く状態になることはあっても、治る病気とはされていません。

リウマチによって、私は一挙に、「本当はできないことを無理してやる、できるふりをする」ことが増えました。
専門医にたどり着いた時は、ちょうど職場の昇任試験が目前になっていたころで、若くてまだ向上心もあったため、リウマチになったことを職場ではおくびにも出さず、昇任試験は疲労と緊張と心身の負担のあまり、休憩時間にトイレで胃液まで吐きながら受験し、なんとか合格。
でも、仕事のイベントなどで、荷物が山と入った段ボール箱を持ち運んだり、みんなと同じ速さで階段を駆け下りたりするのは体中が痛かったり物理的に無理だったりで、それでも「できない」自分を認めたくないし、できないことを同僚に知られたくなくて、とにかくその場その場を繕っていた感じです。

変形していく手の指を見ては、もうピアノも弾けないのかと絶望的になり、幼いころはリレーの選手をするほど足は速くて、結婚前は夫と立山縦走までしたのに、今は立山どころか、横断歩道で信号が点滅していても走れず、ゆっくりしか歩けない自分に苛立つように走る車におびえる日々。

どんどん気持ちが落ちていく時、最も辛かったのは、親しい人たちが、寝込んでばかりの私はどうせ無理だろうと思ってか、私を置いて元気な仲間同士で朝から晩まで、時には泊りがけで出かける姿を見ることでした。

心が狭いと言われればそれまでですが、実際にそんな日は、天気が良く外は気持ちがよいであろう窓の日差しすら恨めしく、「涙とともにパンを食べた者しか人生の味はわからない」とかいう誰かの言葉も、楽しい行楽の時に、皆からあたりまえに置いていかれる身になった状況では、なんの慰めにもなりませんでした。

元気で活発に動け、趣味を存分に楽しんで熱中できる人達になんの落ち度も悪気もありません。わかってはいるのです。
私だって戦争をしている国の人々の辛さはわからないし、もっと辛い難病の人の経験をしたこともありません。
でも、30代で病気になって、すぐに熱っぽくだるくなって動きづらくなってしまうのは、私のせいでも、自分が望んだことでもなかったのです。

「一度きりの人生、いろんなことを経験してみたい」と言う人がいますが、長期間病気に苦しんでいると、そのしてみたい「経験」とやらの中に、間違っても、不治の病や戦争など、自分ではどうにもならない不幸の要素は入っていないんだろうなー、何かチャレンジングでワクワクすることばかりなんだろうなー、と、つい、ひねくれてしまいます。
望んでもいない辛さが長期間にわたると、心までもねじまげてしまうのか、元気で楽観的な人達のいわゆるポジティブな言葉を聞いていると、「自分には理不尽で不運なことは起きない」と確信しているかのような傲慢さを感じとってしまうのです。
実際には、ポジティブに見える人達も、その人にしかない辛い経験をしているのでしょうし、苦しく辛い経験も楽しい経験と同じくらい、人生を味わい深くするものではあるのでしょうが。

2.傍にいてくれること・関心を示してくれること

弱っているとき、本当に心も体もつらくて自己肯定感が底辺まで落ちて這い上がれない時、医学的に必要なのは薬と休養だけれど、一番心を回復させてくれるのは、親しい人達が、動けない辛い状況にある自分にちゃんと関心を持っていて、「傍にいるよ」とそっと寄り添ってくれること、「あなたには無理でしょう」ではなく、「(これなら)一緒にできるよね」と、「一緒にやれること」に目を向けてくれることだと思います。

 「自分がこんなふうになっても、ちゃんと関心をもって目を向けられ、一緒に行動しようとしてくれている。大切に思われ、愛されている」と心底感じられたら、どんなにか救われるでしょう。
私は、自分には趣味を楽しむどころか、普通に歩くこともできない、なんの力もない、と落ち込んでいた時に、「具合が悪いなら寝てればいいんじゃない」とさして関心を示されず、結果的に天井をぼうっとながめながら、一人で自分と向き合い続ける時間が長くなるほど、非力な自分を責めたり、病気を恨んだりと精神的にはよろしくない方向に向かっていた気がします。

それでも、元気な人にも、病の人にも、時間は誰に対しても公平に流れていきます。
そして、年をとってくると、様々な不調を訴える人達が増えてくるのです。
膝が痛い、腰が痛い、若いころのように歩けない・・

私からすると、周りがやっと自分に追いついてきた感じです。
そんな時、痛みと不自由を長い間かいくぐってきた「弱さ」は、経験値として生きてくることもあります。
年を取ることが救いになる人もいるのです。

望んでもいない痛みや不自由に耐え続けること、そうした人の傍にいて関心と愛を注ぎ続けることは、決して簡単なことではありません。

長い間、救いと癒しを求めてきたせいか、私は寺社仏閣に限らず、小さな祠や道端のお地蔵様を見つけると、手を合わせるのがいつしか癖になりました。

望まない不幸・不運にさらされてきた人々が、一筋の光を見つけられますように。

(これを読んでくださった方で、まさに慢性関節リウマチで指がこわばったり曲がってきたり、好きな手芸や楽器やスポーツができなくなって苦しんでいる方がいたら、何かの参考になれば幸いです。
初期の段階で薬で抑え込むのが肝心のようで、あきらめずに関節に負荷のかからない運動や趣味を継続されるのが良いと思いますが、あまりに辛いときは当カウンセリングリームで経験者がお話をお聞きします。通いづらい方のところへは、出張カウンセリングもお受けしておりますので、ご相談ください。)

カウンセリングルームながまちカウンセラー Chie


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