「カウンセリングルームながまち」上級心理カウンセラー Chie
1 子どもの命と医療
令和7年8月7日(木)、1981年(昭和56年)から続く宮城県アディクション問題研究会の、記念すべき500回の定例会が、エルソーラ仙台で開催されました。
研究会では、長年小児科の診察室から子どもさんとご家族を見守ってこられた、公立黒川病院の岩城利充先生のお話を聞くことができました。
内容は、500グラム未満で生まれた超低出生体重児や重症心身障がい児(者)の医療を中心としたお話でしたが、そうしたケース以外にも、兄弟の子どもたちの間で起こる母親の愛情をめぐる葛藤、深刻なトラウマを持つ母親がわが子を拒否してしまう二重・三重の被害など、臨床の現場でのご経験と幅広い知見に基づくお話がもりだくさんで、どの事例についても、考えてしまうことしきりでした。
超低出生体重児の命を救うために、医療現場での専門的でどれほど緊迫した対応が必要とされるかを痛感しましたが、そうやってやっと生まれた命も、臓器の未発達・視力や聴力障害、感染症にかかりやすいなど、様々なリスクを抱えています。
もちろん、どの子の命も尊いものですが、行く末の困難さがあまりにも辛く思える時、親御さん達は自責の念や不安感などの感情に押しつぶされてしまうのか、「この子にとって何が幸せなんでしょう?」と先生に問う方もいらっしゃったそうです。
先生は、ご自身も答えを思案されながら、「何が幸せかわからないけれども、この子に幸せになってほしいと思うことが、幸せではないか」と話されたとのことでした。
2 様々に通底する痛み
普段、「依存症」をはじめとする心の問題を取り上げているこの研究会において、身体的な症状、障害などを主な起因とする葛藤や辛さが、臨床の現場から伝えられたことで、やはり「心と体の問題は切っても切り離せない」という、言い尽くされた言葉を再認識しました。
さらには、大災害や偶発的な事故など、理不尽な出来事により、心身に大きなダメージを受けた方の痛みも然りです。
(震災直後から被災した沿岸部で医療に携わった岩城先生がおっしゃったとおり)、「津波で何もかも失って絶望した人々と、AA(アルコール依存症の自助グループ)で苦しんでいる人とは、『辛さ』という点で通底して」いますし、性被害、難病、DV、・・生きていく上で遭遇する「辛さ」に通底する出来事を上げれば、きりがありません。
ただでさえ大変なことに満ちたこの世界を、生まれたその時点から様々なリスクを背負った小さな小さな命は、どうやって自らの持つ光を輝かせながら生きていけるのでしょうか。
3 医療と治療
先生のお話されていたエピソードで印象的だったのは、母を早く亡くしたチンパンジーは短命になる、ということです。
これは、オスのチンパンジーに顕著で、離乳後も、食べ物の分け与えなど母親の保護や心理的な安心感など、様々なサポートを失うことと関係しているようですが、単にチンパンジーの話にとどまらず、子どもにとって、愛情とサポートをしてくれる存在がいかに重要か、ということを考えさせられるお話でした。
困難に打ちひしがれている人にとって「人の存在の力」が大切だということ、 「治療は、共有する空間の場」だという先生のお考えは、先に引用した、超低出生体重児が体験するかもしれない困難への不安に打ちひしがれるご家族に、「幸せになってほしいと思うことが、その子の幸せ」という、先生の言葉に通じています。
「愛」という、温かく明るい感情に触れることができず、心の栄養素を得られなければ、日の光を浴びていない植物のように、私達の心は枯れてしまって、生きていけないのです。
私の大好きなシェイクスピアの「リヤ王」の有名なセリフで、
「人間、一度しか死ぬことはできない。命は神様からの借りものだ。」という言葉があります。
「なんで、あんないい人が早く亡くなってしまうんだろう」「なぜ、自分だけこんな目に合うのだろう」
理不尽に思えたり、到底乗り越えられないと思えたり、絶望することは、山のようにあります。
そして、本気で死を考えてしまうことだってあります。
そのたび、私はこのセリフを思い出します。
そう、人間は一度しか死ぬことができない。
命は神様からの借りもの。
人生という困難な航海を少しでも楽しく乗り切って、命を神様にお返しする。
どうせ一度しか死ねないのだから。
(写真はエルソーラ仙台からの風景)

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