「毒親って言うな!」表紙

斎藤学先生の「「毒親」って言うな!」について

カウンセリングルームながまち 室長 精神保健福祉士 樋口明夫

1.斎藤学氏「「毒親」って言うな!」を読みました

 斎藤学(さとる)先生は、日本のアルコール依存症治療、アディクション治療を引っ張ってこられた精神科医であり、共依存、アダルト・チルドレン(AC)、トラウマ・サバイバーなど、重要なキーワードの我が国への紹介者としても大変有名です。「家族という名の孤独」、「アダルト・チルドレンと家族」など、多数の著書があり、私も夢中で読ませていただいたものです。

 斎藤先生がYouTubeで発信されている「齊藤學チャンネル」がとても面白く、時間のある時に視聴しているのですが、その中で先生の比較的最近(2022年)の著書「「毒親」って言うな!」が紹介されていたので、読ませていただきました。

2.「アダルト・チルドレン(AC)」概念について

 先生が紹介された「アダルト・チルドレン」という言葉・概念は、1990年代の後半ごろ「ブーム」と言ってもよい広がりを見せました。

 私はその頃仙台市の保健福祉センターで「精神保健福祉相談員」という仕事をしており、「アダルト・チルドレン」についての講演会を企画して、市内の精神科医の先生に講義をお願いしたところ、平日の日中にもかかわらず大勢のお客様に来ていただき、急遽パイプ椅子を会場(乳幼児健診等を行う部屋)に運び入れたり、てんてこ舞いしたこともありました。

 「アダルト・チルドレン(AC)」という言葉が、「刺さった」人がそれだけ多くいらしたということなのだと思います。

 親にアルコール・薬物・ギャンブルなどのアディクション(嗜癖)があったり、児童虐待やDVなど暴力のある家庭で育って、今は成人した人のことをアダルト・チルドレン(AC)と言います。

 程度の差は大きいですが、子ども時代に育った家庭で傷つき体験がなかった人はいないので、「そんなことを言ったら誰でもACになる」と考え、アダルト・チルドレン(AC)という言葉・概念に、よい印象を持たない人は精神科医や心理職など、「心」を扱う専門職の中にも多いです。

 私は、身近な人との人間関係に悩んでいたり、何らかの生きづらさを感じる人が、自分自身を理解し、自分らしいもう少し楽な生き方を身に着けるためのキーワードとして、ACという言葉は今でも有効だと思っています。

 今のしんどさを全部「自分のせい」、「自分が悪い」と考えすぎず、過酷な子ども時代を生き延びるために仕方なく身に着けた「サバイバルスキル」のせい、でも今は必要がないスキルなのだから手放そうとか、ACというワードを手掛かりに、回復の道を歩んでいる方は多くいらっしゃいます。ACODA(アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリー・アノニマス)など、ACと自認する人の自助グループに参加することで、仲間との体験の分かち合いを通じた回復を目指している人には、リスペクトの念を抱いています。

3.「毒親」概念に感じた違和感と子育ての困難さ

 一方、ACに遅れてブーム?となった「毒親」という言葉・概念には、私はなぜかとても違和感を感じて、話題となった「毒親本」もこれまで1冊も読まずに過ごしていました。

 その「毒親」について、斎藤先生がどのように考えていらっしゃるのか、とても気になったのが、今回この「「毒親」って言うな!」を手に取った理由なのです(前置きが長くてすみません)。

 私が「毒親」というワードになぜ違和感を感じたのか、自分の中で整理できていなかったのですが、斎藤先生は「まえがき」の冒頭で、この本のタイトルの「毒親」をカッコ書きにしたのはこの用語に不満を持っているから、であり、「ホモサピエンスの母がどんなに苦労しながら種をつないできたかを知っている人、あるいは近・現代史の中で母をすることがいかに困難なことかを知っている人なら、まず毒という言葉は使わないでしょう。」と言われています。

 母、親をやること、つまり子育ての困難に目を向けず、親という他人に「毒」という非常にネガティブなレッテルを貼る、非共感的な姿勢を斎藤先生は良しとしておられないということがわかりました。

 人類の歴史の、多くの期間において出産は大変危険を伴うものでしたし、現在でも絶対安全とは言えません。核家族で子育てすることが一般的となった現代では、母親となった人の多くが孤立して子育てをしなければならない状況に置かれています。そのような中で「完璧な子育て」ができる「完璧な親」はどこにもいない、という斎藤先生のお話はよく理解できます。

4.「自責」から「他責」に至るプロセス

 また、とても面白いというか、興味深いと思ったのは、「毒親」と親を非難する人の心の中の「自責感」の重さについての指摘です。

「自罰」から「他罰」に至るプロセスを先生は、

 「今の自分は情けない状態だ」→「親に申し訳ない」→「死のう」→「死ねない」→「よく考えれば、私は生まれたくて生まれたんじゃない」→「親が勝手に生んだのだ」→「親のせいで私は追い込まれている」→「親は私をダメにする毒を持っていた」

と、図式化しています(p.62)。「毒」という強い言葉を使ってご自身の親を非難する人の心の中に、親への申し訳なさとか、強い自責の念が宿っているという指摘は説得力があります。

 自罰感情(私が悪い)と他罰感情(親が悪い)は無意識の同じところから出ているという指摘にも、ハッとさせられました。矢印の向きが違うだけで、人を責めているという点では共通です。自分を責めるということはとてもつらいことなので、親という他者へ矛先を反転させることで、自分を守る(防衛する)ことは一概に悪いとか、ダメだとか言えません。そうすることが必要な時は、そうしてもよいと思いますが、人間は(自分も親も)、生涯を通じて変化・成長していく存在です。お互いが変化する中で関係も変化していくので、あまり親など他人を「毒」と決めつけたまま、関係を固定化しすぎない方がよいという斎藤先生のお考えは納得できるものです。

自責から他責への反転

5.変化と回復の可能性を信じて

 タイトルの「「毒親」って言うな!」という言葉は、児童虐待防止法やDV防止法が作られるずっと以前から、児童虐待やDVなど家庭内での暴力の問題とその被害の大きさに着目し、被害者の自尊心の回復に長年取り組んで来た斎藤先生が言われるからより説得力が増します。本書の末尾で紹介された夏目漱石は、乳幼児期、児童期に虐待というしかない過酷な体験をして、成人したのち深刻な精神的危機を経験し、心の痛みと向き合いながら偉大な文学作品を生み出しています。

 過酷な体験を経たとしても、いくつになっても回復・成長できる人間の可能性を信じて、これからもカウンセリングの仕事を続けてまいりたいと思いますし、自分自身の人生を生きていきたいと思います。お読みいただき、ありがとうございました。


 


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