「カウンセリングルームながまち」上級心理カウンセラー Chie
衣食住に特に困らない子どもが多いとはいえ、貧富の差が拡大する中で、教育費どころか食べ物も満足に与えられない子どもや、奨学金の返済で生活を切り詰めなければならない学生の話をよく耳にします。
「そのぐらいで貧しさを経験したと言うな!」といいう方もいらっしゃるかと思いますが、自分の「お金がなく、心理的にも辛かったとき」の経験を共有させていただきます。
1 豊かだった思い出
子どものころ、家には住み込みのお手伝いさんがいました。
田舎で水産冷凍加工業を営む自営業は当時は羽振りがよく、母親も家業で忙しかったこともありましたが、昭和40年代頃は、様々な事情で縁故のある家に住み込みで働く女性がまだ珍しくなかったのです。
小さかった私はその初老の温和なお手伝いさんを○○さんと呼んで慕っていました。
家には百科事典や世界の国々の写真入りの紀行集や、当時はまだ持っていることが珍しいアップライトピアノがあって、いっぱしの名士だった父を持つ私は小さな田舎の町の「お嬢さん」でした。
しかし、小学校高学年頃からだんだんと水産業を取り巻く環境も変わり、父が営む会社の従業員さんたちも減っていき、お手伝いさんも後の身が立てられるように計らった上で、家から出てもらいました。
2 お金がないことの厳しさ
中学校から高校に上がるころになると、家の状況はますます悪化していきました。
家計に余裕があったころでさえ、いつも気を張ってピリピリしている父の顔色をうかがう家庭環境でしたから、いくら家のことが心配でも、商売のことを聞くわけにもいきません。
中学校の修学旅行で(決められた金額まではお小遣いを持ってきてよいという学校からのお便りを母親が読む余裕がなかったのか、あるいは子どもに持たせるこずかいの余裕がなかったのか)、私はお小遣いを持っておらず、お土産売り場でみんなが楽し気に物色する中、私は悲しくみじめな思いをしながら、それでも何か一つは記念になるものが欲しいと、かろうじて話しかけられそうな同級生に「お財布忘れてきちゃって、500円だけ貸してくれない?」と頼み、鶴ヶ城の売店で、朱色の200円ぐらいの箸を一膳買いました。
生まれて初めて人にお金を無心した経験でしたが、その時の何とも言えないみじめさは今もよく覚えています。
でもそんなことは序の口で、高校になると、いよいよ稼業の破綻が見えた父は、夜中に自殺を図ろうと岸壁へ向かっていき、母が必死になって追いかけて家に連れ戻す日々が続きました。
勉強が好きで成績も良く、当然大学へ行くものと自他ともに考えていた自分が、こんな環境の中で進学できるのか、ひょっとして、高校時代から手伝っていた家業の、ゴム長靴と胸からひざ下まで黒いエプロンをつけて、延々とベルトコンベヤーを流れる魚をより分ける作業を、腰が曲がる年齢になるまで工場で続ける人生になるのではないかと、絶えず頭が混乱していて、葛藤しながら受験勉強していました。
母も相当に混乱していたようで、ある時、近郊の大きな町にある病院の帰り、何を思ったのか、デパートに寄ろうと言い出し、一人娘(4人兄弟ですが、私の他は皆男の子でした)の私に、「ねえ、このネックレス、2,000円だって。こんなにきれいなんだもの、お母さん、これ買ってもいいよね、いいよね?」とすがるように聞くのです。
私は、何と言っていいかわかりませんでした。
たとえ2,000円であっても、食料品に換算すれば1日分は買えます。
でも、母が一時でもラクになれるなら、という思いもあったからです。
3 貧しいこと、豊かなこと
その後、私は返却義務のない奨学金を2つ獲得し、授業料も免除してもらって、地元の国立大学になんとか入学しました。
当然親から仕送りなどありませんから、バイトと奨学金が命綱でした。
当時は、とにかく生活費や「優」を取ることに必死で、「親のお金で心配なく学生生活を送れることが当たり前」と思っている、他の学生への羨望や傲慢さへの怒りを意識していませんでしたが、後になってみると、そうした感情は確かに自分にあったと思います。
スポーツ選手や芸術の分野など、「好きなことを追求して成功した」人達をテレビなどで見ると、その才能と努力に敬意を表するものの、「結局、その人の生い立ちは、好きなこどに没頭して努力できる恵まれた環境だったのだろう」「好きなことで成功した彼らは、年を取ったり病気になったりして好きなことができなくなっても、幸福でいられるだろうか」と妙にひねくれた考えをしてしまうのです。
マズローの欲求段階説ではありませんが、生存や安全への欲求は当たり前すぎて目にも入らず、いきなり「自己実現」への欲求やそれを満たすことへの称賛が語られることにアレルギーを感じるのは、学生時代の経験がこたえているのかもしれません。
「自分は○○に人生をかけてきた」みたいな言葉を聞くと、ああ、その人はお金に困ったり、大病をしたりなど、大きな試練もなく過ごしてきた幸運な人なんだろうなあ、と思ってしまうのです。
戦争で次の瞬間にはどうなるかわからない極限状況や、貧しかったり、病気等で明日自分がどうなのかわからない人間にとっては、そもそも生き伸びること自体が人生をかけることになるからです。
4 貧しさを糧にして
それでも、私には、感性や知識をはぐくめる幼少時代がありました。
そんな経験が全くない、貧困やネグレクトや混乱の中に生まれ落ちた人達から見れば、私もどこか奢っているのではないかと自省しています。
子ども時代、私を見守ってくれていたあのお手伝いさんだって、笑顔の下で、どんな思いを抱えて私達家族を眺めていたでしょう。
恵まれて育ってきた人が貧しい人の目線で世界を見ることは、よほどのことがない限り不可能です。
でも、貧しい(貧しかった)人が、特にお金に困っていない普通の家庭も含め、裕福な世界を俯瞰してみることは可能だと思います。
特段お金に困っていない友人を作ってみたり、高級なレストランやホテル、親が高収入の子どもたちがいる学校や家で、どんな仕事でも働いてみると、お金持ちの世界もこんなもんか、とか、この人達は格別な努力をしなくとも有しているものを自分の力で手に入れてみせるとか、思うことは様々でしょうが、経験値や視野を広げることには役立ちます。
生まれ落ちる環境が違うことからして、世の中の理不尽は始まっています。
人は自分より恵まれたり優れた人と比較してしまう傾向があるので、お金に困っている人達が、生きていくお金に困ったことがない人を見て腹立たしく思うのは当然です。まして友人が「今月お金がないのよねー」などと言った日には、「あなたの言う『お金がない』と、私の感じる『お金のない』の切迫感は全く別物だ」という事実や、そのことにおそらく一生気づかないで済む友人の無神経さにも腹立たしく思うでしょう。
人は生まれた環境を選べず、世の不公平もいかんともしがたいものです。私自身は、貧困も含め、望まない経験すら心を耕す肥やしにしてしまうような強さをなんとかして獲得して、人生を味わいつくすしかないのかな、と思っています。

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