2025年11月仙台市政だより記事「3.11震災文庫を読む83」

たとえスピリチュアルであっても

 カウンセリングルームながまち」上級心理カウンセラー  Chie     

1 心が辛いときにアクセスするもの

株式会社矢野経済研究所による占い・スピリチュアル関連ビジネス市場に関する調査によると、2023年度の占いサービスの市場規模は997億円、「宗教」 「パワーストーン」「ヨガ」なども含めたスピリチュアル関連ビジネス市場規模は4兆2,418億円と推計され、多くの分野で成長が見られるようです。

どこまでを「スピリチュアル」というのかは難しいところですが、ある別の調査でカウンセリングの市場規模が300~350億円と推計されていることと比較すると、占いサービスの市場規模の大きさがわかります。

「カウンセリング」では、主にカウンセラー等と対話しながら、自分を見つめ、とらえなおす作業が伴うことに対して、宗教や占いは、他者が正しい行いを提示してくれたり、不安への答えを暗示してくれることが大きく異なる点かと思います。

「自らと向き合う」ことは、かなりエネルギーが必要なことですので、そもそも自分の力について自信を持てず、疲れ切っている方や、これまでさんざん頑張ってきても、自分のせいではない要因・出来事によって不幸のどん底から抜け出せなくなった方にとって、「何かにすがりたい」気持ちになることは、理解できるどころか、共感してしまうほどです。

とはいえ、ここで、占いとカウンセリングの違いや優劣を語ったり、まして、占いやスピリチュアル関連の事柄を特段肯定する意図もないのですが、いわゆる精神世界などの、一般常識では測れない出来事や考え方を「スピリチュアル」というカテゴリーでひとくくりにして蔑視する姿勢には、違和感を覚えます。

科学的根拠があるかという観点からいえば、よく言われることですが、幽霊や死後の世界が「ある」という証明もできなければ、「ない」という証明もなされていないわけですから。

2 崖っぷちをさまよう心が触れる光

このたび、仙台市の「市政だより」の「震災文庫を読む」コーナーに、2冊の本を紹介させていただきました。

その中の1冊、「魂でもいいから、そばにいて 3.11後の霊体験を聞く」は、発刊当初も話題に上った本ですが、まさに「スピリチュアル」ともいえる不思議な体験がたくさん出てきます。

津波で亡くなった兄の死亡届を役場で書いているときに、壊れて使えないはずの兄の携帯電話から「ありがとう」というメールが届いた、母親とともに津波で流されたはずの親友が、いつも待ち合わせていた橋のあたりに立っていた、など。

こうした体験をされた方の多くは、どうせ作り話、と取り合ってもらえないだろうと、しばらくは自分が経験したことを語らなかったようです。しかし、著者の奥野修司さんが丹念に取材を進める中で語られたことは、1つ1つが、亡くなった家族や親しい方を失った悲しみや、助けることはできなかったのかという自責・後悔の念などが入り混じった、切々とした物語です。

震災後しばらくの間、口伝えで被災地に広がっていた不思議な話を耳にしていた時は、私自身、被災者でもあり、かつ被災地の自治体職員として休む間もなく避難所の運営などの業務にあたっていたこともあり、「そんなこともあるのかなあ」ぐらいに思っていました。

今回、著者が労力を尽くして大切に拾い集めた人々の体験談を、改めて書物として読んでみると、言いようがないほど打ちのめされた人の心をわずかでも底から浮かびあがらせるものはなんなのだろう、と考えてしまいます。

たしかに、この本で語られている体験の数々は、第3者から見れば不思議な話です。

しかし、体験した本人にとってはまぎれもない「事実」であり、きっと、体験された方にとっては、科学的かどうかの議論など全く関係がない、愛する故人とのつながりを感じさせる尊いものなのだと思います。

たとえ誰にも語れないような体験であったとしても、ずっと心の中で大切に守って、触れていたいもの。

震災に限らず、そうした心の中に届くわずかな光の放つ力が、長い時間をかけて心の救いになっていくのかもしれない、と、改めて感じました。

(なお、ご紹介しているもう1冊「遺体」(石井光太著)は、もう、読んで、震えて、それでも読み進めて、なにかを感じていただくしかありません。ぜひお読みください)

コメント

“たとえスピリチュアルであっても” への1件のコメント

  1. […] は深いものがあります。 被災地での体験談を取材した貴重な2冊の図書に寄せる思いを当HPブログに投稿しておりますので、併せてお読みいただけると幸いです。 樋口千恵のプロフィ […]

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